ライトの建築思想を忠実に受け継ぐ弟子として、ライトからも格別に信頼されていたといわれています。
今回は遠藤新が師であるライトに出会った経緯についてご紹介します。
遠藤新は1889(明治22)年に福島県宇多郡に生まれ、東京帝国大学建築学科に進学しました。
在学中に書物でライトのことを知り、その頃から強い憧れの気持ちを持っていたといいます。

遠藤 新(1889~1951)
1913(大正2)年、建築学科の授業で有名建築を見学するカリキュラムがあり、帝国ホテルの見学に行った際に、当時支配人だった林愛作と出会いました。そこで新館の設計者がライトであることを知り、林愛作を質問攻めにして強い印象を与えたようです。
林愛作がアメリカでライトと帝国ホテルの契約覚書を交わしたのは1916(大正5)年ですが、遠藤新が林愛作に会った時にはすでに帝国ホテル新館建築の計画が具体的に進んでいたそうです。
遠藤新は大学卒業後、明治神宮造営局に勤務していましたが、ライトが帝国ホテル新館の設計のために来日し、日本人のスタッフを要望した際に、林愛作が印象に残っていた遠藤新をライトに紹介しました。1917(大正6)年1月8日のことで、その日から二人の関係が始まったのです。
出会いから約三ヶ月後の4月、遠藤新はライトと共に渡米。約1年8ヶ月の間アメリカに滞在し、タリアセンで学びました。
1919(大正8)年に帰国し、帝国ホテルが着工されるとチーフアシスタントとしてホテルの建設に従事しました。ライトが帝国ホテル完成前に帰国してしまってからは設計管理を任され、遠藤新を中心とした日本人スタッフで“東洋の宝石”とも称された素晴らしいホテルを完成させました。
遠藤新とライトの関係は終生続き、晩年病気で伏せていた時に、ライトはアメリカで大変病状を心配していたそうです。遠く離れていても深い絆で結ばれていたことがわかりますね。

甲子園ホテル前にて(左から4番目が林愛作、7番目が遠藤新)
遠藤新と林愛作の関係も、帝国ホテルが完成した後も続きました。
“東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル”とも並び称された甲子園ホテルは1930(昭和5)年の竣工で、林愛作の理想にもとづき遠藤新が設計しています。
旧甲子園ホテルは当館と同じ兵庫県にあり、現在は武庫川女子大学の学舎「甲子園会館」として利用されています。
「緑釉瓦(りょくゆうがわら)」という緑色の瓦が葺かれた屋根は、周囲の松林に溶け込んでいて自然との調和を感じさせます。また、内外装材に石を採用していること(ただしこちらは日華石〈にっかせき〉を使用されています)、水平線を強調したデザイン、幾何学的な彫刻など、当館との共通点も数多く見られます。
当館とは車や電車で1時間はかからない距離です。
甲子園会館の見学には事前申し込みが必要ですが、一般の方でも見学できます。
当館とあわせてライトの系譜を辿りながらご見学されてみてはいかがでしょう。
甲子園会館ホームページ
http://www.mukogawa-u.ac.jp/~kkcampus/index.html
遠藤新については、ヨドコウ迎賓館ホームページ・専門家に訊く内でも詳しくご紹介しています。
(※文章はNPO法人 有機的建築アーカイブ 副代表理事 井上 祐一様からご寄稿頂いたものです。)
<参考資料>
遠藤陶『帝国ホテル ライト館の幻影 孤高の建築家 遠藤新の生涯』廣済堂出版
関澤愛『遠藤新について』(武庫川女子大学東京センター主催講演会シリーズ わが国の近代建築の保存と再生より)
<写真提供のご協力>
遠藤現様、武庫川女子大学様